ぼくの農業に対する姿勢
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この柏市の豊四季で、もともと両親と祖父母の四人が
農業を営んでおり、それを手伝い始めてから時が
経つのは早いものでいつの間にか十二年という
年月がたちました。
今現在では祖父が他界しその後は特にパートさんを
やとったりはせずに、両親と祖母との四人で毎日
小かぶを平均100ケース前後の数量で
生産しております。

過去を振り返ってみると学生時代の頃に友人達が
将来どんな職業につきたいか大学はどこに
通いたいとか話していた時に自分には特別な夢が
あった訳でもなく結局親の言うがままに高校卒業後は
東金市にある千葉農業大学校へと進む事になりました。
そしてその学校生活も恥ずかしながら勉学に励むのでは
なく好きな事ばかり遊んでばかりの毎日でした。
そして大学卒業と同時に再び進路指導の時期を
むかえ大学生活二年を終えてもなお、将来の夢を
見つけ出す事もできずに悪戦苦闘していた時
「進路先を就農と決めれば帰れるよ」と言う
友人の言葉に耳をかたむけ、たったそれだけの事から
軽はずみな思いで親の仕事である農業を
自分の一生の仕事として選びました。

正直な所どこかの会社に勤務するよりずっと楽が
出来ると思っていたのです。
又上司ではなく親なら、、、といろいろな部分で
自由になると思っていたからです。
そんな事がきっかけで農業という人生を
歩み始めたのですが自分の気が短いのか
動機が不純だったのかいざ就農してみたものの
すぐにやる気が無くなり、やりがいというものは
ほとんど感じない毎日でした。